あのときのようにできない③

3.“あのときはできていた”を疑う

 また、「できていたあのときの感じ」という感覚の記憶は、ときに、私たちに錯覚を引き起こすことがあります。たとえば、「合っているはず」と信じ切っていたのが、メトロノームをつけてみて愕然としたり、「これ以上大きく私は動けない」というくらい動いているつもりでも、ビデオに撮ってみると、小さくもがいているだけのような動きでショックを受けたりすることがあります。つまり、「上手にできている」と思っていたことが「実はできていない」ことに気づくということです。

 実際、卒展のための「実り」の練習の中でも、1年生にこれと同じようなことが起きました。曲にのっていく、後半で華やかさを出す、思いを伝えられる表現、このようなことに意識を向けて練習してきたなか、「長胴がなんか合っていない」と気づいた指導者が、一人ずつ手でリズムを打ち、サントコに合わせる練習を行ったときのことです。1年生はサントコにも、八分にさえも合わせることができず、その後の通し練習では、それまでよく動けていた振りまでもぎこちないものになっていました。これは、それまでは動きをよりよくしようと努力してきた1年生が、「自分が“音を合わせる”ことはできていないと気づき、新たな探索を始めた」と考えることができるでしょう。振りとして動く感じをつかんだところに、今度はリズムが隣と合っていないことに気づく。するとそこに引きずられて、できていた振りもできなくなってしまうのは当然ありうることです。しかし、単純に“今までのようにできなくなってしまった”ということではなく、その気づきによって、新たなよりよい動感メロディーを求めて探索していく可能性が開けた、と考えることができるのです。